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花束 <第三章> 葉桜の季節に

 

 

 

 


             花束 
              
            <第三章>

           葉桜の季節に



山下有香とは料理家の鍋島みどりのホーム・パーティーで知り合った。
鍋島みどりは、普通の主婦が売れっ子料理家へと変身した先駆者でもあり、今や彼女の料理本は海外でも翻訳され、世界的にも著名な料理家になった。
そして彼女の快活で自由奔放な言動は、企業家から芸能人まで幅広い交友関係を築いていた。
そんな鍋島みどりの自由が丘の家は、広々としたリビング・ルームに、仕事場ともいえる大きなオープンのダイニング・キッチンが備わっていた。
そしてガーデニングが美しいテラスからは、青々とした芝が引きつめられた庭が広がり、既に
30人近い著名人が集まっていた。
僕はそんな華やかな場所に縁はなかったのだが、可愛がられていた先輩の大物プロデューサーである、佐伯真二に連れてこられたのだ。
佐伯真二は元歌手でもあり、当然友好関係が広かった。
その為、佐伯さんは家に入るなり挨拶が忙しく、僕はまるで借りてきた猫のように片隅に佇んでいた。
暫くして、そんな僕の顔の前にカナッペを乗せた小皿を差し出したのが有香だった。
「あまり召し上がっていないみたいですね」
確かに僕は、緊張のあまりか食べ物には手をつけてはいなかった。
「ありがとう」
僕は小皿を受け取ったが、有香のキラキラとした大きな黒目が、脳を突きぬけ後頭部まで見透かされているようで、たまらず目線をはずした。
「お一人で?」
「いえ、あの佐伯さんに連れられて」
「佐伯さんて、あの佐伯真二さん?」
「そうです」
「じゃ〜あなたも・・歌手?」
「いやいや、僕は違いますよ・・」
僕は慌てて手を振りながら、チラリと有香の顔を見たが、すぐに目線を落とした。
「ごめんなさい・・何なさっているんですか?」
有香は僕の顔を覗き込むように首をかしげた。
「ああ、プロデューサーの卵のようなもんです」
立て続けに質問をする有香に、僕は少したじろぎながら小学校の時の事が脳裏を過った。
僕は、今でこそ背は180近くになったが、小学校の時は背が低く、隣の席にいた大きな女の子に、いつも威圧低に質問をされ、まるでそれが怒られているようで怖かったのだ。
「へ〜おもしろそう・・・じゃ〜ごゆっくり」
最後にそういい残すと、有香は僕の前から立ち去りキッチンへ向かった。
当時有香は、フード・コーディネーターの資格を取得していたが、料理の実践にこだわり鍋島みどりのアシスタントとして働いていたのだ。
有香は、ショート・カットの髪に大きな眼が印象的だったが、エプロン姿の他のアシスタント達とは違い、一人黒の長い前掛けを、形のいい腰にキリリと締めていた。
その姿はまるでパリのカフェで働くウエイターのようでもあった。
しかし、何よりも僕が魅了されたのは、長い前掛けに隠れていた足が、後ろ姿ではミニスカートからすらりと伸びていたからだ。
その上キリリとした足首が、僕の官能を十分刺激してしまった。

それから佐伯さんは、孤立している僕を見かね何人かの人を紹介はしてくれたが、大した実績のないプロデューサーなど誰も相手にはせず、僕は見慣れた俳優や大物歌手を、物見遊山で観賞しながら落ちつかない時間を過ごしていた。
しかしそうなれば後は飲むしかなく、普段は飲めない高級なワインを飲みあさった。
そして気がつけば、僕はオープン・キッチンに入り込んでいた。
「お客様は、あちらの方が・・」
エプロン姿のスタッフが笑顔で僕を制した。
「お水ですか?」
すると有香が、水の入ったグラスを僕の顔の前に差し出した。
僕は黙ってグラスを受け取り水を飲み干しと「僕をよろしく!」と名詞を渡したらしい。
「・・・」
酒は時折、人に勇気とチャンスを与えるものだ。
結局その後の記憶は希薄で、次の日の有香からのメールがなければ、今の僕達の関係はなかった事になるのだが、有香が気遣いのメールをくれたのには理由があった。
こう見えて僕は、性格には多々難点はあるものの、顔はミスチルの桜井和寿に似ているといわれるほどで、見た目が悪くなかったことも功をなしたともいえるが、すきっ腹で飲み過ぎた僕は、結局気持ちが悪くなり鍋島みどりの指示でタクシーを呼んでもらう羽目になった。
そして、それを見送ってくれたのが有香だったからだ。

こうして僕と有香は付き合うようになったが、半年後には同棲していた。
早いかも知れないが、同棲のきっかは至極必然的な理由だった。
当時、僕は新宿区の市谷のマンションに住み、有香は西武新宿線の上石神井に住んでいた。
酒を飲むことに人一倍執着心のある二人は、会えば当然のように帰宅が遅くなり、有香は都心の僕のマンションに泊まることが多くなっていった。
気がつけば、僕の部屋には有香の着替えが増え、バスルームには化粧品が、引き出しには下着が詰まり出した。
その上ジャンク・フードとラーメン。それにコンビニ弁当でメタボ気味だった僕の食生活は、有香の手料理で驚異的に改善されはじめた。
「ね〜引っ越してくれば?」
ある日有香の手料理に舌づつみを打ちながら、僕が切り出した。
「・・やっぱそうかな〜・・そうだね」
有香は、都心の便利さに心が動いたようだった。
それならばということで、二人で住むには少し手狭な僕のマンションは引き払うこととなった。
大きな公園に近い代々木上原、食文化圏の恵比寿、そしてリッチ気分の麻布と幾つもの物件を回ったが、結局今の中目黒に落ち着いた。
決め手になったのは、このマンション五階のテラスに立った時だった。
二人は顔を見合わせ、黙って頷いていた。
それは眼下に、目黒川沿いの桜並木が広がっていたからだ。
それまで僕達は、桜は見上げるものと思っていた。
しかしその桜並木は、渓谷をフワフワと流れる桜霞のようで、春の日差しに照らされた花びらは、うたかたの夢見草と化していた。

そんな今年の桜も、花吹雪が舞い川面は花筏となったが、既に葉桜になった。
そして目黒川沿いの喧騒も、今は落ち着きを取り戻していた。
僕は、有香を起こさないように静かに部屋に入った。
ダイニング・ルームには間接照明だけが薄ぼんやりと灯っていた。
カバンをソファーに投げ出した僕は、そのまま冷蔵庫に向うと、喉の渇きを潤す為に缶ビールのプル・トップを開けた。
プシューという音が、既に乾いた喉の奥に反応していた。
「帰ったの・・・」
その時トイレに起きたのか、後ろから有香のまどろんだ声が聞こえた。
僕は、ビールがゴクンと喉元を過ぎた後だけに「ウガウグ・・」と、言葉にはならず振り返った。
有香は、眠そうな顔つきのまま僕に手を振り、寝室に戻って行ったが、頭の隅に君の残像が残っていた僕は、体が硬直するほど驚いた。
そして、有香が寝室に消えてから「なんだよもう〜」とはき捨て、膝から崩れ落ちるようにダイニング・チェアーに座りこんだ。

翌日休みだった僕は、昼ごろまで寝ていたのだが、既に有香の姿はなかった。
ダイニング・テーブルには、焼いたアジの開きと納豆がラップしてあり、ガス・レンジの上には味噌汁の入った鍋が用意してあった。
・・・夕方までには終わると思うよ!・・・
赤いマグネットで、メモが冷蔵庫の扉に張ってあった。
メモがテーブルの上ではなかったのは、有香が僕の癖を知っていたからだ。
僕の一日は、寝起きに冷蔵庫を開ける事から始まる。
決して喉の渇きを潤すために飲み物を探すためではなく、何かを確認するかのように開ける。
しかし、その何かは未だに分からず、今となってはただの習癖として気にしないようにしている。
メモを丸めてゴミ箱に投げ入れると、一段と大きくなった冷蔵庫の中を暫く見詰めた。
これも二人で住むようになったからだが、冷蔵庫の中は料理人らしく、タッパウエアーなどが整然と置かれ、常にミネラル・ウオーターと缶ビールが冷えていた。
一人暮らしの時との大きな違いではあるが、幸福が詰まっている光景だ。
さすがに昨夜の酒が残っているのか、僕はミネラル・ウオーターを取り出すと一気に喉を潤した。
有香がいれば怒られるであろうラッパ飲みで。
アジを電子レンジで温め、なめこと大根の入った赤だしの味噌汁を啜った。
有香の実家は岐阜の為、あわせ味噌になれた僕には戸惑いもあったが、今ではしっかり赤だしに慣らされてしまった。
それから食後のまどろみの中、テラスから青く抜けた空を確認すると、壁に寄りかかる買ったばかりのメタリック・グリーンのロード・レーサーを見詰めた。
総額数十万円のイタリアのチネリとマッシュがコラボした自転車で、衝動買いをしたものだ。
日ごろの運動不足解消の為とはいえ、こんな高額の自転車を買うつもりはなかったのだが、青山のキラー通りに幾つものロード・バイクショップができたのが気になり、見に行ったのがきっかけだった。
僕はマッシュというメタリック・グリーンの色とフォルムに魅せられてしまったのだ。
聞けばフレームと車輪。それにハンドルからサドル、ペダル、ギヤーと、幾つものパーツで買い求めるとの事だった。
しかし、僕はめんどくささと待つのが嫌で、ショップに飾られてあった完成品を求めた。
そしてそのままぎこちなく乗って帰ったが、マンションの駐輪場では盗難が怖く、そのまま部屋へ持ち込んだ。
「何々!どうしたの?」
突発的な出来事に、有香は嬉しそうだった。
「買っちゃった・・・」
僕は高額な為か、後ろめたさも手伝い照れ笑いの表情になっていた。
「へ〜かっこいいね〜」
「だろ〜!」
有香の反応に、僕は得意げな顔に変わった。
有香はマッシュを嘗め回すように眺めると「これどこの・・高そうだね〜」
と僕の顔を見た。
「イタリアの・・」
僕はドキッとし、冷静さを失いかけた。
「ふ〜ん、だからかっこいいんだ〜・・で、いくらだったの?」
有香はマッシュに跨った。
「あ〜それ、8万ぐらい」
僕は嘘をつくしかなかったが、それよりもサドルを高めにしたマッシュに、僕は足がつま先立ちになるのだが、有香の奴はしっかりと地に足が着き、僕のちっちゃな自尊心は傷ついていた。
「え〜そんなにするんだ。凄いね〜」
その上僕は、まるで窮地に追い詰められた詐欺師のように、冷静さを保つのに必死だった。
しかし考えてみれば、同棲生活ではあるが16万の家賃の折半以外は、光熱費や食費は僕が払っているわけで、僕が何を買おうが、なんら有香に後ろめたさを感じることはなかったのだが。

そんな買った時を思いだしながら、僕は片手でも軽々と持てるマッシュを部屋から出した。
マンションの前で真新しく光るフォルムを一瞥し、ナルシストぶりを発揮しながら誇らしげに跨ると、ゆっくりペダルを踏み込んだ。
しかしそんな薄っぺらな自尊心は瞬く間に打ち砕かれた。
マッシュは車輪も細く車体も軽い為、ハンドルが微妙にぶれ、僕は押さえつけるのに必死になり肩に力が入っていた。
それでも徐々になれ、肩の力を抜きながら駒沢通りへ向かった。
そして駒沢通りを右に曲がると、必死に坂を上り駒沢公園を目指した。
僕は狭い駒沢通りを、追いすがる車に気をつけながらペースを乱すことなくひた走った。
暫くすると、体をすり抜ける風が、脳裏に過去の風景を蘇りさせ、童心へと導いていた。
初めて自転車に乗れた時の浮遊感。
学校までの通学路。
そして溝への転落事故と・・・
こうして環状七号線を渡る頃には、僕のトレーナーは薄っすらと汗ばみだしたが、汗と共に体中の老廃物までもが噴出し、爽快感が新たな細胞をつくりだしているようだった。
その上、久しぶりの運動にも一年前に止めたタバコの効果は歴然と現れているようで、呼吸はあまり乱れず、またマッシュの機能が日頃の運動不足を補っていた。

それから程なく走ると、行く手に駒沢公園が見えたが、手前の東京医療センター前の信号が赤になった。
僕はゆっくり体を起こし、背伸びをしながら前かがみになっていた首を回しほぐした。
その時、一台の赤い自転車が颯爽と僕の前を横切った。
(あ!)
僕は心の中で叫んだ。
それは、花束を抱えていた君のようだったからだ。


           この続きはまた・・・





 

 

 

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