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花束 <第四章> 優しい日常

 

 

 

 


                 花束

                <第四章>

                優しい日常


僕は本当に君だったのかは半信半疑だったが、逸る気持ちを押さえ信号が変わると、脱兎の如く駒沢公園へ向かった赤い自転車を追いかけた。
そして目の前に迫ると、その赤い自転車は駒沢公園のサイクリング・コースへと入った。
僕はわき目も振らず一気に追い抜くと、背中いっぱいに君であることを念じ、振り返る勇気を心で数を数えるように待った。
そして意を決しブレーキを掛け、爪先立ちながら振り返った。
すると、何台かの自転車に追い抜かれながらも、木漏れ日の中笑みを浮かべ、ゆっくりとペダルを踏み込んでいる君が見えた。
その時、不確かだった記憶も確信へと変わり、思わず生唾を飲みながら、僕の胸はバスドラのように高鳴りだした。
10メートル、8、5・・「や〜!」
僕は、通り過ぎようとする君に声を掛けた。
君は急ブレーキをかけると、一瞬首をすぼめて固まり、それからゆっくり振り返ったが、そのまま肩で息を切らし言葉にはならなかった。
君の苦しそうな息づかいは、僕の胸の高鳴りをより刺激し、体中の血液を沸騰点に達しさせたが、僕は必死に鼓動の乱れも押さえながら近寄った。
「大丈夫?驚かせてしまって・・・でも驚いたな〜本当に君だ」
「はい、もう大丈夫です」
君は動悸を鎮めるように右手を胸に置いてたが、僕に会ったことにはさほど驚いている様子でもなかった。
「ここよく来るんですか?」と僕が聞くと「いえ、初めてです。でもず〜っと来たかったんです。この自転車も買ったばかりで・・」
君はハンドルを愛おしそうに撫でた。
「そうなんだ〜僕もなんですよ」
僕もハンドルを撫でたが、君のブリヂストンの赤い自転車と、僕のメタリック・グリーンのチネリは、恥ずかしいくらい真新しく、僕らは見比べながら照れ笑いが漏れた。
「あの〜いっしょに走ってもらえますか?」
「もちろん!」
僕の思惑を見透かすような君の申し出に、僕の頬は緩んだ。
そして、僕達は後続の自転車の邪魔もしていた事にも気がつき慌てて走り出したが、サイクリング・コースは狭い為、僕は併走したい気持ちを抑えゆっくりと君の前を走りだした。
そして、時折本当に君が後ろにいるのかを確かめるように振り返った。
そると君は、晴れ晴れとした笑顔を少し空に向け大きく深呼吸をしていた。
そしてその顔には、木漏れ日が次から次えと通り過ぎ、君の白い肌はより輝きをましていた。
僕は叫びたい気持ちを抑えながらも、この後どこでお茶を飲もうかなどと頭の中は食べブロ化し、自然に満ちたサイクリング・コースを満喫する暇などは無かった。
そして2.1キロの一周は瞬く間に過ぎ、僕は当然のように二週目に入った。
「ありがとう!楽しかった!」
その時だった、後で叫ぶ君の声が僕の思惑を見事に打ち砕いた。
僕は急ブレーキをかけ振り返ったが、既に10メートルは過ぎていた。
「ちょっちょっと待って!」
僕は慌てて引き帰そうとしたが、次から次えと後続の自転車が続き、狭いコースを逆走することができなかった。
「あの〜名前!」
視界から消えそうな君に、僕は手を振り叫んだ。
「さ・つ・き!」
そういい残し姿が見えなくなった。
僕は後続自転車の切れ目を待ち追いかけたが、既に君の痕跡は木々の葉音と影が消していた。
「なんだよ〜・・・」
諦め切れない僕は、もう一度神の施しをと願いながら駒沢公園の中を繰り返し通り抜けたが、二度と君の姿を見ることはなく、僕はまるで白日夢を見ていたかのように呆然と立ち尽くした。

こうして思わぬ運動量をこなし、その上落胆という足かせの付いたペダルは重く、マンションにたどり着いた時には、立っているのがつらいほど腿の筋肉が張っていた。
僕はシャワーを浴びると、崩れるようにソファーにうずくまったが、夕刻のテラスから差し込むオレンジ色の光には、木漏れ日に見え隠れした君の笑顔が映りこんでいた。
有香が帰ってきたのは、それから間もなくだった。
「ただいま〜!シャワー浴びたら何か作るね!」
(ね〜、疲れてるんだろ・・どこか食べに行こうよ!)
僕は心の中で叫んだが、言葉には出さなかった。
「・・・」
「今日は何していたの!」
有香はバス・ルームに入る前に叫んでいた。
「・・散歩!」
大きな声で言ったが、同時にカシャンとバスルームの戸の閉まる音が聞こえ、有香には聞こえたかどうかは分からなかった。
僕は君の残像を消したかったのか、自転車で駒沢公園に行った事を言うつもりはなかったが、
自転車に乗ったことさえ隠してしまった。
暫くして、バス・タオルを頭に巻きつけ、素っ裸で有香はバスルームから出て来た。
そんな姿も三年も見慣れると「風引くよ!」といいたくなるだけのただの裸婦であり、僕の官能を刺激する材料にはならなくなっていた。
有香はおもむろにパンツだけを穿くと、バスタオルで髪を拭きながら僕の隣に座った。
そると、有香の温もりと共に、湯上りの甘ったるい匂いが鼻孔を刺激し始め、野性が目覚めたのか僕は思わず有香の胸に抱きついた。
「やだ〜!シャワ〜浴びたばかりなんだから」
有香は僕を突き放した。
「ね〜散歩って、珍しいね・・・どの辺まで行ったの?」
僕はいじけた犬のように膝を抱きながら、やはり聞こえていたのかと思ったが、僕は散歩と言ってしまったことを後悔していた。
僕は目的もなくぶらつくことが苦手で、一人で散歩などしたことがなかったからだ。
「うん、ほら!散歩っていったって代官山まで、なんかシャツでも買おうかなって思って」
代官山は坂を上がれば、眼と鼻の先だった。
「なんだ、買い物・・」
「そうそう!ショッピング」
僕は鋭い有香の目線をかいくぐり、ソファーを立ち上がるとテラスへ向かった。
「そう・・・で、いいものあった?」
「いや何も買わなかった・・・」
僕はテラスへ出ると、ストレッチをするかのように、わけも分からなく体を動かした。
「そう・・・」
有香は言葉に余韻を残しながらソファーを立ち上がったが、それ以上は何も聞こうとはしなかった。
僕の嘘はあり地獄のように、もがけばもがくほど窮地に陥って行った。

それから有香は、いつものように手際よく料理を作り、ダイニング・テーブルには香ばしく焼かれたベーコンの乗ったクレソン・サラダとパンが置かれ、圧力鍋からはブイヤベースの磯の香りが漂い出だした。
「ビール!それとも白ワイン?」
有香は缶ビールとワイン・ボトルをかざした。
僕は「ビールかな〜」と又しても曖昧な言い方で席に着いた。
そして「お疲れさん!」と、有香の仕事の労をねぎらいビール・グラスを合わせたが、折れそうな心を必死に抑え、今度はしっかりと有香の眼を見据えた。
「疲れました〜」有香は喉元を三回震わせながらビールを飲むと「プファ〜」と眼を閉じながら歓喜の声を上げ、いつものようにその日の仕事の話を始めた。
僕は黙って相槌を打ち、時折「あの馬鹿!何にも分かっていない!」などとクライアントに対し爆発する有香に「そうだよな〜」などと曖昧な賛同をしながらブイヤベースの鱈を口にした。
「うまい!」
「ね〜、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ」
話の腰を折ったようで、有香は不満げな声を発したが顔は笑顔だった。
そして「ご飯も温めればあるよ」と、気遣いも忘れずに付け加えた。
こんな平穏な有香との生活も、テラスから見える季節の移り変わりも、日常のひとコマとして当たり前のように過ごして来たが、時折ソーリからも聞かれる二文字が頭を過った。
「結婚しないの?」ソーリは三年も同棲し、何ら不満もないなら当然結婚するべきだと、自分の家庭生活の幸せを押し付ける。
僕も有香との結婚を考えたことがない分けではなかったが、僕には結婚の意味が理解できていないのか、それともただたんに責任を取ることが怖いのか、少なくとも考えないように逃げているのは確かだった。
僕は小学四年の時に母親を病で亡くし、母の優しさも家庭的な温もりにも飢えたまま育った。
その事が原因かどうかは分からないが、幸せの定義が結婚に結びつくとは思えないからだ。
そして有香にしても、時折友達の結婚生活や子供の話を楽しそうにはするが、それを僕に望んでいる事なのかは分からなかった。
むしろ今は、避妊に敏感なほど仕事に意欲を燃やしているようで、今の僕達のライフ・スタイルには満足しているようにも思えていた。

しかしこんな優しい日常を、僕はどうするつもりなのか。
有香の顔を見ながら後ろめたさは込み上げていたが、それでも僕は、今度の休みも駒沢公園に行くことを決意していた。



                   この続きは又・・・

 

 

| Walkin' | 15:41 | comments(0) | - |
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