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花束 <第五章> 幸せのレシピ

 

 


                     花束

                 <第五章 >

              幸せのレシピ


新人歌手の音入れでスタジオに篭りっきりの一週間だったが、さ・つ・きと言った君の名前を幾度となく思い起こし、忘れかけていた感情が目覚めたようで、充実感さえ感じるものだった。
しかし季節はお構いなしに流れ、待ちに待った土曜日は、梅雨の走りか、朝から肌寒い雨模様の一日になってしまった。
恨めしげに外をみついめる僕に「なに黄昏てるの?」と有香が茶化した。
「黄昏てなんかないよ・・ほら、今日こそこれで運動しようかなって思っていたから・・」
僕はチネリを顎で指した。
「そうだったんだ・・残念だね」
春の到来で、新たな葉を纏ったテラスの観葉植物が、雨に打たれ鮮やかな色に揺れていた。
今日の休みを、自転車で出掛ける事をどう切り出そうかと考えていた僕は、これで明日晴れた時、堂々と自転車で出掛けられると思った。
「買ってから乗ってないもんね・・私も自転車買おうかな〜」
僕は有香の言葉にドキリとした。
考えてみれば、今までの僕なら二人で出掛ける為にも、有香も買いなよと、言っていたはずだからだ。
そのことを有香も感じていたのかも知れない。
「そうだよね!それがいいよ、有香も運動不足だし・・」
「え〜私太った?」
有香は眉間に皺を寄せ嘆いた。
「いや、そんなことはないけど・・ほら、今からやってたほうが・・それに二人でどこか行けるしね」
有香は決して太っていたわけではなかった。
むしろ付き合い始めた頃よりも、スリムになっていたくらいだったのに・・・
「まあいいや・・・」
僕は有香の、まあいいや・・が、なんだか気にはなったが、とりあえずその場の窮地を脱した気がした。
その日の僕達は出掛ける事もなく、手持ちのDVDでの映画観賞になった。
<幸せのレシピ>キャサリン・ゼタ・ジョーンズとアーロン・エッカートのラブ・コメ物だが、有香のお気に入りの映画だった。
独身で仕事に明け暮れていたフレンチの腕利きシェフであるキャサリンが、事故死した姉の子を引き取ることから、キッチン以外での幸せを見つけていくというラブ・コメ物だが、有香はどこかで自分をオーバーラップし共感しているようだった。
しかし、それだと差し詰め僕がアーロン・エッカートになるわけだが、映画の中の彼はユーモアも実行力もあり、その上子供好きときている。それに間違いなく肉食系だ。
これが僕に対する有香のメッセージだとするなら、僕は太刀打ちできずに逃げ出したい心境だ。
それにしても、僕はキスシーンやベット・シーンになると妙に居心地が悪くなり、有香にしても必ず何かを食べたり飲んだりとせわしなくなる。
不思議なもので三年も一緒にいるのに、まるで付き合い始めの恋人同士のように気恥ずかしくなるから可笑しなものだ。
むしろ僕らは、アダルトビデオを楽しむぐらいではないといけないのかも知れないが、未だ挑戦はしていないしそれほどの意欲もない。
それでもその夜、もやもやを吹き払うかのように有香の体を求めた。

次の日眼が覚めると、ブラインドから青空を窺わせる明るい光がもれていた。
僕は逸る気持ちを抑え、あの時と同じ午後になるのを待った。
「どこまで行くつもり?」
有香の問いかけに「そうだね・・多摩川辺りまで行けるかな〜」僕は思わず駒沢公園ではなく多摩川辺りまでとあやふやな返事をしてしまい「途中でメールするから」と有香の言葉を遮った。
「じゃ〜車に気をつけてね!」
有香の言葉に送られ、僕はもう一度神の悪戯に賭けた。
君に会える確率は万に一つもないかも知れないのに、駒沢通りを走りぬけるペダルは軽く心は弾んだ。
雨に洗われた空気は清清しく、どこまでも続く青空は眩い光に満ち溢れていた。
そして、君を見かけた東京医療センター前の交差点は瞬く間に目の前に迫った。
僕は交差点で立ち止まり、君が現れた緩やかな下り坂の深沢方面を見詰めた。
そこには、息を切らせながら赤い自転車を漕ぐ君の姿がおぼろげに見えたが、僕はゆっくりサイクリング・コースへと向かった。
きのうの雨の反動か、サイクリング・コースとランニング・コースは色とりどりのコスチュームを纏った人で溢れていたが、雨上がりの新緑にカラフルなコスチュームが映えていた。
僕は君を見落とさぬよう細心の注意をはらいながら、数え切れないほど周回コースを回った。
しかし、結局君を見つけることはできなかった。
神はそれほど慈悲深くはなく、僕の醜い思惑を見事に打ち消すと、足には重い足かせまで巻きつけ、帰りのペタルをより重くした。
それから幾度となく、梅雨の合間をぬうように駒沢公園へ自転車を飛ばしたが、あれ以来君に会えることはなかった。
僕はあの時もう少し話をしていればと地団駄を踏み、たった一夜と数時間のことなのに、長く切ない想いでとして消え去って行った。

そして、重苦しい梅雨空にも夏を告げる青空が覗きだしたある日。
スタジオ帰りの僕に、佐伯プロデューサーからイルファのPVを見て置くようにいわれ、僕は人気のなくなった部屋でPVを回し始めた。
イルファは自社の稼ぎ頭でもあり、既に何枚ものミリオンセラーを出している女性ボーカリストだが、しなやかでリズミカルなダンスは、今ではアジアでも絶大な人気を博している。
その新曲PVは、ラップが絡んだビートの効いたリズムをバックに、イルファが鏡の前で髪をいじり、自分でメイクをするところから始まった。
そしておもむろに立ち上がると、今度はスタイリストやヘヤーメイクを従え、幾つもの鏡を覗き込むようにしながらヘアースタイルとメイクが変って行った。
僕は音とイルファの動きだけに集中して見ていたが、最後の鏡から画面が屋外プールに変わった時、僕は慌ててビデオを巻き戻した。
そしてリピートしたビデオに釘付けになった。
それは最後の鏡を覗くイルファの後ろで、イルファの髪をセットしているヘアー・メイクの子が君に似ていたからだ。
僕は慌ててビデオにストップ・モーションをかけたが、それは紛れもなく君だっだ。
君は笑顔で正面を見据え、何かを伝えるようにゆっくりと口を動かしていた。
僕は何度もリピートし口の動きを読み取った。
「あ・り・が・と・う・け・ん・ご」
僕は息を飲み画面を止めると、なぜこのPVに君が写っているのか、なぜ君は僕に呼びかけているのか、事の成り行きが理解できず暫く放心状態に陥った。
そして我に返ったように佐伯さんに連絡をとり、PVの制作会社を突き止めたが、既に深夜の為連絡はつかなかった。
こうして僕は冷静さを取り戻しながら、君が美容師だと言っていたことを思い出したが、やはり画面から僕に語りかけている意味が理解できず、悶々とした夜を過ごすこととなった。


               この続きは又・・・





 

 

| Walkin' | 15:42 | comments(0) | - |
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