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由比ヶ浜からの風  <最終章> 四季の流れる穂高川
     
    



              由比ヶ浜からの風

           最終章の始まり

          四季の流れる穂高川


月島の工房に環が住みはじめ、まるで半同棲生活のような奇妙な時間が流れていた。
僕が毎朝工房へ着く頃には、環はすでにバイトに出掛けいないのは分かっていたが、それでも環の存在を確かめるように二階へ上がった。
無味乾燥だった部屋はすでに環の温もりと残り香が充満し、まるで幸せの詰まった玉手箱のように変化していた。
そして心躍る思いで環の帰りを待つ。
まるで新居で旦那の帰りを待ちわびる新妻の心境だ。
その上、僕はバイクでの二人乗りはしない主義だったのだが、環の切望にそんな掟もなんなく破り、背中に環の温もりと息づかいを感じながらタンディムを楽しんだ。
そしていつしか物干し台には、コールマンのリゾート・チェアーが二つ置かれ、二人は夜風に吹かれながらグラスを傾けた。
そんな中、環は意欲的にガラス工芸の勉強を始めたのだが、もともと感覚も感性も豊かな環の集中力には眼を見張るものがあった。
環が初めて工房の二階に上がり、外光をふんだんに取り込み光り輝いていた僕の作品を見た時「綺麗!」とか「素敵!」などとおざなりの反応ではなく、黙ってなにかを確認するかのように心にしまい込んでいた。
今思えば、あれが環のガラス工芸に対する興味と意欲の現われであったのだろう。
しかし、そんな幸せな日々が数週間続いても、僕の心はどこか晴れてはいなかった。
それは、環が時折見せる表情にあった。
天真爛漫に装う環の心には今だ小さな風穴が開いているようで、僕の腕の中でも心がどこか遠くを見ている時があったからだ。
久木田を嫌いになり別れたわけではない環にとって、きっとその先には久木田が見えているに違いない。
僕と久木田の立場が逆転した今、僕はいつの間にか久木田に嫉妬し始めていることに気がついた。
久木田は、今でも環が去った理由を僕の存在だけだと思っているのだろう。
そして、環もあえて久木田には本当の理由を伝えてはいないはずだ。
それだけに、環の久木田の対する想いが残っているようで、日に日に僕は息苦しさを感じ始めていた。
「ね〜明日の夜は満月だって知ってる?」
その夜物干し台のデッキ・チェアーに座るなり環が空を仰いだ。
「ああ、仲秋の名月だろ・・・」
僕も物干し台に出ながら夜空を見上げた。
「うん、晴れるといいな〜・・・」
環は流れる雲間に見え隠れするる月明かり探していた。
そんな環の横顔を見ながら、このとき僕は環をつれて長野の安曇野に帰る決意をした。
東京という怪しげな不夜城に憧れ、一度は身を置いてみたが、それはまるで張りぼての映画のセットのような、欲と虚飾にまみれた世界でしかなかった。
それでも月島の川沿いに工房を作ることで、少しはストレスのガス抜きにはなっていたのだが、所詮は付け焼刃、僕はそんなまやかしにも限界を感じ始め、創作意欲にも影を落とし始めていた。
安曇野に帰れば、真夏でも爽やかな風に包まれ、穂高川のせせらぎの音は心を和ませ、雄大な北アルプスの山麓に広がる田園風景が、新たな創作意欲を掻き立ててくれるに違いはなく、そんな情景を環にも感じさせなければと思ったからだ。
しかし、そんな僕の思いを切り裂くように、次の日環は帰って来なかった。
隅田川の夜空には満月が輝き、川面はその光に揺れていた。
僕の脳裏には、髪をなびかせながら川辺に立っていた環の後姿が、まるで絵空事のように浮かんだ。
心のどこかで覚悟をしていたとはいえ、悲しみの深さが癒えるわけではなかったが、それでもなぜか環を追いかける気にはなれずにいた。
決して大人ぶったわけでもなく、勇気が無かったわけでもないが、所詮はひと夏の恋、そっとしておくことが環にしてあげる優しさのような気がしたからだ。
僕は環がこのまま連絡もせずに、跡形もなく消えてくれればと願った。
しかしそんな願いも叶わず、それから数日後環から電話がかかってきた。
「ごめんなさい・・・」
環は泣いていた。
「いまのコウちゃんを放っておけないの・・本当にごめんなさい・・あなたを傷つけてしまった・・でも私は速水さんのこと」
「環!いいんだ・・もういいんだよ分かってる」
と、僕は冷静さを保ちながらも環の声を聞いてしまった今、すぐにでも抱きしめたいとの想いから、思わず「会いたい!」と叫んでしまいそうな衝動を必死にこらえた。
環は、久木田が実家を継ぐ決心をしたので傍にいて欲しいと、泣きながら言ってきたことを話した。
僕は久木田が泣いて懇願したことを聞き、汚い手を使いやがってと、思わず僕も泣きの一手を使うかと頭を過ったが、すでに僕の頭の中は混沌とし、早く携帯をかなぐり捨てたい心境に陥っていた。
「じゃ〜元気でね・・」
僕は精一杯明るい声を張り上げた。
「・・・本当にごめんなさい」
環のすすり泣く声が胸を締めつけたが、気がつくとツ〜ツ〜ツ〜という無常な音だけが寂しく鳴り響いていた。

           
              最終章の終わり


四輪駆動の車を降り、サクサクサクと昨夜降り積もった新雪を踏みしめながら僕は新しい工房の引き戸を開けた。
工房は、運よく安曇野市の実家から車で40分ほどの農地の隅に建っていた古民家を借り、改装して灯油の窯を作った。
工房の中は深々と冷えていたが、窓から差し込む光がガラス細工にあたり神々しく乱反射していた。
僕は、その窓から差し込む眩い光を右手でさえぎながら窓辺に立った。
外は、モノトーンに変わった穂高の田園地帯が広がり、遠く雪化粧の北アルプスが連なる中、勇ましい常念岳が黄金色に光輝いていた。
刻々と変わる山肌の光は、厳かな平常心を育み、新たな息吹を僕の体に吹き込んでくれる。
月島の工房と広尾のマンションを引き払い、すでに半年が過ぎようとしていた。
工房の片隅では、愛車のヤマハSRが春の訪れを待ち焦げれ、そんなSRをみるたびに湘南の海が浮かび、月島で過した環とのひと時が走馬灯のように駆け巡ってはいたが、僕は決して悔いてはいなかった。
むしろ、環が安曇野に帰る決断を下してくれたようで感謝しているほどだった。
こうして安曇野の自然に包まれならが、僕は穂高川の四季をガラス細工に封じ込めることにした。
静まりかえった工房で、灯油ストーブとコーヒー・サイフォンに火をつけ、ゆらゆらと燃えあがる灯油ストーブの火を見ながら、頭の中に浮かぶ色彩をどう形に表すか試行錯誤していると、コーヒーサイフォンがブクブクと激しい音をたて始めた。
するとその時、カラン・カランと、入り口の引き戸に取り付けたカウベルが鳴った。
「はい!」
僕は慌ててサイフォンの火を消し、窓から外を覗いた。
すると入り口の軒下に、鮮やかなオレンジ色のダウン・ジャケットのフードを目深にかぶった人の姿が見えた。
僕はもう一度「はい!」と声を張り上げながらクモリガラスの引き戸を開けた。
その人はつぶさにフードを取り、鼻まで隠していたマフラーをはずすと「あの〜こちらの工房で働きたいんですけど、弟子入りさせて頂けないでしょうか!」
環は真剣な眼差しでイッキにまくし立てた。
その時僕の背中に、環の立てた爪の痛みが走った。

          FIN
                             上岡ヒデアキ

 
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